ヒザとわがまま(4)

こんにちは。ごきげんいかがですか?

 

患者さんに体の言葉の説明をしているときに、あれ?わたし何でこのことを知っているのだろう???と思うことがあります。

わたしの理論は、膨大な臨床データを取りながら構築していきますが、そのデータを取りはじめるきっかけが、いつの間にか知っていることを確かめたくなることの存在なのです。

 

知っているという感覚は、言葉を覚えていく過程にすごく似ています。

いま自分が使っている日本語の単語ひとつひとつに対して、それを理解した瞬間を覚えているでしょうか。

ほとんどの単語は、いつの間にか知っていて、当たり前のように使っているのではないでしょうか。

 

だから、体の症状を言語としてとらえて生活していると、こんなふうにいつの間にか知っていて当たり前のように使えるようになるのかもしれない。

わたしは、体の言葉をいつの間にか知っていることに気づいた瞬間、すごく嬉しい気分になり、ちょっと誇らしいのです。

 

それでは、ヒザとわがままのつづき、です。

 

わたしたちは、合意の交換条件以外のことでも、良いことと悪いこととして教わっていることがあります。

例えば、「みんなが嫌がることはやってはいけません」とか、「ふつうこのくらい気づきますよ」のようなものです。

体は、これらのことを良いこと悪いこととすることを極端に嫌い、時には大きな病気で警告することもあります。

それはなぜなのか。

 

 

これをAさんとBさんのコミュニケーションで説明しましょう。

 

あるグループに、AさんとBさんが所属しています。

 

Bさんはちょっと言葉がきついところがあり、Aさんはいつもその言いかたで嫌な思いをしています。

AさんがBさんの愚痴を言うと、じつは他にもBさんの言いかたで嫌な思いをしている人がいました。

 

そこでAさんはBさんに、注意をしに行きます。

 

「あなたのその言いかたでみんなが嫌な思いをしていたのですよ。その言いかたは良くないから直したほうがいいですよ」

 

 

するとBさんは、こう返します。

「あなた達、ちょっと神経質すぎですよ。こういう時は普通こう言いますよ」

そして、Bさんの意見に賛同する人達もいるのです。

 

こういう場面での良い悪いは、多数決で判断されがちです。

 

 

 

これからみんなでルールを作る時の多数決ではなく、

ルール違反はしていない相手を、良い悪いとジャッジをするこの多数決。

 

体はこのコミュニケーションを感知すると、さまざまなゆがみを使ってその危険を知らせ、時には阻止しようとするのです。

 

なぜなら、

 

 

つづく